けやきの会

海軍の町舞鶴


近代の舞鶴は東郷平八郎から始まりました
22年6月17日
  海軍が天然の良港と呼び、この舞鶴を日本海の守りとすべく「海軍鎮守府」を置いたのは、明治34年の事です。同時に東郷平八郎がこの地の初代司令長官として赴任して、町人の町「城下町舞鶴」のみが栄えていた近世舞鶴は終わり、その中心は、海軍一色に塗り替えられた東、中舞鶴の海軍の町へと変わります。右の写真は東舞鶴から中舞鶴へと走る列車の様子を写した貴重なものですが、この通り一帯は舞鶴市民が一切通行禁止の地域だったのです。左手に見えるのが現在は平和利用されている「赤れんが倉庫群」です・…

引揚の町から平和を守る自衛隊の町舞鶴へ
22年6月17日
  赤れんが倉庫群を、舞鶴に残された海軍の舞鶴の憂うべき「戦争の爪跡」と捉える人々もいます。確かに、戦争が、海軍が舞鶴の地に残した戦争の記憶は耐えがたいものである人々もおられることと思います。しかし「岸壁の母」が歌となり、また、引揚記念館を作り後世に残したいと願って日本全国の引揚体験者が寄付金を送ってこられたおかげで引揚記念館が出来たように、舞鶴の戦争の記憶として同時に平和への祈念として、今舞鶴市民が市政と共にれんが倉庫を平和の象徴へと作り変えようとしています。舞鶴へ来られた際は是非、お立ち寄りください。